由 緒

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結城諏訪神社について

はじまり

結城諏訪神社は茨城県西地方、結城市上山川に鎮座しております。 創建は天慶三年(940年)この地方において平将門が反乱を起こした事に始まります。その勢いは強く次々と支配地を増やす中、時の朱雀天皇は下野の武将、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に将門を討つべしとの命を下しました。
そこで秀郷は必勝祈願のため、信濃国諏訪大社より諏訪大明神の御霊を招き、今の境内地で必勝祈願の祈祷を行いました。 これが諏訪神社の始まりです。
そして見事将門に勝利した秀郷は、諏訪大明神の御神徳に感謝し、社殿を建築し御神体として神事に使った矢を奉納しました。それ以来、源頼朝の奥州攻めに参戦した結城朝光が戦勝を祈願して勝利を収めるなど、戦いの神、勝利の神として多くの武将の信仰を受けてきました。

万事必勝の神

結城諏訪神社の祭神、建御名方神(たけみなかたのかみ)は八百万の神最強の武神として知られております。
諏訪大明神として藤原秀郷を始め、武田信玄や徳川家康など多くの武将に勝利をもたらした事から、勝負の神として崇敬を受けました。 現在では様々な勝負事にご利益のある万事必勝(ばんじひっしょう)の神として信仰されております。
又、一緒に祀られている事代主神(ことしろぬしのかみ)は建御名方神の兄弟神であり、恵比寿様として信仰を受けている神様です。
商売繁盛、事業繁栄のご利益を与えてくださいます。

当神社のご利益を求めて多くのスポーツ選手が参拝しております。大相撲第72代横綱稀勢の里関(現二所ノ関親方)もその一人です。大関時代に必勝祈願を受けられ、その後の場所で優勝し横綱に昇進いたしました。

勝負岩

勝負岩と呼ばれる境内に古くから伝わる大岩。
将門の軍勢の矢から秀郷を守ったと言われております。
岩に触ると力をいただき、願いが叶うと言われ、当神社の御利益にちなんで勝負岩と呼ばれております。

竜神信仰

諏訪大社の神様は諏訪湖に住む竜神様とも言われております。
藤原秀郷と竜神様も深い繋がりがあり、三上山のムカデ退治は竜神の命によって行われました。
将門との戦いの折には竜神が将門の影武者を見破り、そのお陰で将門を討つことができたとも言われております。
諏訪神社にも様々な伝承が残っており、竜神様が勝負の岩の上に小さな白蛇の姿となり現れるとも言われております。

一粒億倍日

一粒万倍日は良い事が万倍に増える開運日ですが、当神社のご利益は万事必勝であることから万×万で億倍のご利益となります。そこで当社では『一粒万倍日』ではなく『一粒億倍日』となり、その日限定の一粒億倍お守りとご朱印が授与されます。一粒億倍日は特に金運上昇にご利益がある日で、それを祈願して多くの参拝者が訪れます。

※毎月の一粒億倍日は『諏訪神社からのお便り』のページにて掲載しております。